SSブログ
中日 ドラゴンズ ブログトップ

元中日の大豊泰昭氏 死去 [中日 ドラゴンズ]

中日の大豊泰昭氏の訃報を聞いた。51歳。あまりにも早すぎる。岩のような肉体に熊のような手。そして尊敬する王貞治氏を追いかけた1本足打法……。無骨で純で、少し台湾訛りが残った名古屋弁でいつもジョークを飛ばしていた。元気だった頃の大豊氏の人懐こい、まん丸な笑顔が目に浮かぶ。

 どこまで飛んでいくのかというくらいに打球が飛んだ。

 怪童、中西太氏には、ショートライナーと思った打球がグラブをかすめて、そのまま本塁打になったという逸話があるが、大豊の打球も、その伝説に劣らぬものだった。当時、高木守道監督が「中西さんの打球以上だ」と絶賛していたことを忘れられない。
 故郷の英雄、王さんに憧れ、日本に渡り、巨人に対抗してチーム補強をしていた星野仙一監督が、1年間、球団職員で囲うという裏技を使って1988年にドラフト2位で獲得した。背番号は「王さんの55本塁打記録を超えたい」と、松井秀喜より先に「55」をつけた。

 王さんの1本足打法に本格的に取り組んだのは1992年の秋。高木監督が「大豊をなんとかしたい」と、秋季キャンプに張本勲さんを臨時コーチに呼び、張本さんが手取り足取り1本打法を指導した。花開いたのは翌々年。1994年には、38本塁打、107打点で晴れて二冠王を獲得した。

タグ:野球 中日 大豊
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ
中日 ドラゴンズ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。